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ハイライト

 投稿者:Rocky  投稿日:2016年 5月 8日(日)15時27分29秒
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  最近の暮らしの中のハイライトは春日井市役所市民サロンでの油彩展があろうか。故郷沖縄を偲んでふるさとの浜辺の風景(30号)とメキシコの旅の思い出を描いたグアナフアト風景(12号)を出展した。
 
 

川平湾

 投稿者:Rocky  投稿日:2016年 5月 8日(日)15時15分49秒
返信・引用
  昨年の春に石垣島の川平湾に行った。何度か足を運んだ所で、兄と一緒だった時もある。その兄も同じ年の夏には亡くなってしまった。次の絵を兄に捧げたい。
 

パリ残影

 投稿者:Rocky  投稿日:2016年 5月 8日(日)15時04分16秒
返信・引用
  昨年の秋に行ったパリの旅を時々思い出す。帰ってから幾つかの絵も書いた。その中の一つにエッフェル塔がある。
 

絵画展

 投稿者:Rocky  投稿日:2016年 5月 8日(日)06時08分17秒
返信・引用
  春日井市福祉センターで開かれた展覧会に出展した作品を使って映像投稿のテストをしてみる。  

久しぶりに・・・

 投稿者:Rocky  投稿日:2016年 5月 4日(水)11時14分10秒
返信・引用
  この掲示板も2013年以来空白になっている。それから私の人生も大きく展開し、書くこともたくさんあったはず。国内外の旅の思い出など。2013年のメキシコの旅、2014年の米国、2015年のフランスというように。コミュニティ活動も増えた。英語、絵画、俳句を通した地元のシニアの仲間たちとの触れ合いは寂寥感漂う独居暮らしの中のオアシスである。5月1日からは春日井市市役所サロンで始まった絵画展(2点出展)は今年初のハイライトかな。

 

映画

 投稿者:Rocky  投稿日:2014年 5月29日(木)05時06分17秒
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  この掲示板にも長いあいだ書いてない。すっかり忘れていた。そろそろ書いてみようかな。

友人に次の短信を送った。最近話題の映画について。

Nへ、
昨日話題になった映画のサイトをおくる(スカイプではなしたこと)。

アナの雪の女王(映像が素晴らしい)
http://m.youtube.com/watch?v=L0MK7qz13bU

他のディズニー映画から
http://m.youtube.com/watch?v=VnRMPg8fGJs

http://m.youtube.com/watch?v=zU-jXdntf3A
 

書簡(3月)5

 投稿者:Rocky  投稿日:2013年 3月24日(日)08時30分28秒
返信・引用
  Nへ

 お察しの通りへとへと。それでも最後の買い物をしに名古屋へ行った。いま流行りの携帯コンピュータ・タブレットを買うことにした。メールと電話と写真処理を中心に使えるように。しかし、設定を初め、すぐ使えるようなものではない。スカイプも使えるがメキシコに行ってから現地のインターネット状況に合わせて設定しないと使えないようだ。とにかく今度の旅には物心両面でかなりの投資をしている。果たして還元できるのか:ー) 日記に、ウルマンの書き写しだが、英語で I have no rosy cheeks, red lips and supple knees, but I have a quality of imagination, a vigor of the emotions, and freshmess of the deep spriing of life <私にはバラ色の頬も、赤い唇も、しなやかな膝もない。しかし、想像力、燃えたぎる情熱、人生の深い泉の新鮮さはある> と書きながら自分を励ます。そうでもしないと、とてもルンルン気分でこの旅には出られない。よく、友人知人が、「メキシコに?良いですね」と言うが、現地に行ってからの日々の生活がどんなものであるか知らないからだ。昨年「このぞっとする企ても、先の見えない独居暮らしの中で、ほぼ10年と見立てた二生目の人生をどのように生きるかという思索の中から生まれて来たものだ」(2月18日)と書かざるを得なかった悲壮な思いを知らないからだ。午後、空港宅配業者が荷物を取りに来る。もう引き返せない。

 肉体的な疲労に加えて、いろいろな思いに取り付かれて眠れなかった。名古屋に行く電車の中でメモしながら「頑張れよ」と自分に言い聞かせた妻への思いを整理しながら娘にメールを書いていると少し心が落ち着いた。あなたにも送る。


メキシコに立つ三日前、いつになく寂しい。誰に訴えることもできず、昔よく歌った「北上夜曲」というメロディに合わせて次の歌詞を書いた。すこし照れくさいが送る。父

    http://www.youtube.com/watch?v=6ThH_fr3X60 ( 鮫島有美子)


春のそよ風吹く頃に
君と出かけたつくし狩り
忘れられない 忘れられない
春日井の丘の 春の日よ

2 (次は後悔と願望かな)

篠島の海 手を組んで
波と遊んだ白い浜
忘れられない 忘れられない
遠い小島の 夏の日よ

*篠島は知多半島の沖の小島。家族連れてよく海水浴に行った。


もみじの里の明治村
共に祈った教会の
忘れられない 忘れられない
ステンドグラスの 薄明かり


雪のしんしん降る朝に
君と歩いた小金井で
忘れられない 忘れられない
髪にかかった 白い雪

*小金井は三鷹(ICU)の院生時代に新婚時代を過ごした街。


ぼくは生きるぞ 生きるんだ
君の面影胸に秘め
忘れられない 忘れられない
君と暮らした35年
 

書簡(3月)4

 投稿者:Rocky  投稿日:2013年 3月20日(水)05時48分50秒
返信・引用
  Nへ

昨日、昨年と同じカウントダウン7の出発一週間前に国際運転免許証を取得。

「電車を乗り継いで駅の階段を上り下りする動作は痛む足には辛い。(中略)また痛みを『気をつけて!』と囁く亡妻の声だと思うことにした。痛みを理由に家に伏してしまえば、寝たきりの習慣形成になりかねない。歩ける限りは歩く」と日記に書いた去年の悲壮な思いとは異なり、今年は杖なしで満員電車に乗り、バスを降りて平針の運転試験場まで歩いて昼過ぎには新しい国際運転免許証を手にした。去年はグアナフアトでは時間的にも地理的にもせっかく取った免許証を使うことはなかったが、今年はチャンスがあるかもしれない。2007年のニュージランド出張の時に役に立ったように。

 試験場の隣りに食堂がある。申請した免許証が発行されるまでの待ち時間に昨年と同じところで昼食をした。1年前のあの日、脚の痛みはひどく、亡妻の励ましの声と重ねると同時に、確かミスター・ペイン(痛み)と名前をつけて「こいつと共存しよう」と自分に言い聞かせてもいた。あれから1年、この時間の流れは私に何を与え、何を奪ったか。食事をしながら考えていた。

 現実の畑はその主が死んでも残り、遺産として相続され、あるいは誰かが耕作を続けていくかもしれない。とにかく残るのである。しかし、人生という時間に拘束された「畑」はその主人が死ぬとすべて無くなってしまう。この1年の間に、兄は死に、私は生きた。兄の「耕作地」は兄もろとも消えた。私の「耕作地」は耕され、そこで多くの新しい出会いもあり、あなたとの友情も深まり、さらに耕すのを待っている。そのように考えるとゲーテの言葉は一層の重みを持つ。

 私の相続した遺産は、なんとすばらしく、大きいことだろう。
 時間が私の財産だ。わたしの耕地は時間だ。

 食事を済ませ、国際運転免許証の交付を受けて帰路に就いた時は心は晴れやかで、地下鉄の電車を栄駅で降りて、画材屋に足を向けた。そこで15,000円のクレパスを買い、沖縄物産店に行ってメキシコへのおみやげを買って心ウキウキと帰宅。夕方は、プールでリハビリをしながら疲れをとって、夜の絵画教室に言った。最後のレッスンである。そういうめまぐるしい一日であったがメキシコに向かう大きな一歩であった。その間に、あなたは他人に施しをし(頼まれた切符を売り)、「健康十訓」の「少欲多施」を実践して実りある一日の耕作をした。あっぱれ!

 今日は、昨日生協から届いたメキシコ旅行用の食品や衣類、画材をスーツケースに詰めながら、いよいよ旅支度を始める。ホームステイの子供たちにも我が家の子供たちの秘蔵品?の中から日本の玩具を選んで譲ることにした。ナターシャという可愛い子がいる。彼女には羽子板(偶然に見つけた)を用意した。

 最近の旅行は快適である。宅急便でスーツケースを空港まで送ってもらい、そこで受け取ってチエックインすると目的地で受け取れる。私はメキシコのレオン空港で荷物を受け取り、マルティンさんの車で迎えられてグアナフアトで旅装を解く。家を出るのはジーパンにいつものヤッケ、リュックサック一つの軽装である。今日も、カルペ・ディエム!
 

書簡(3月)3

 投稿者:Rocky  投稿日:2013年 3月17日(日)07時55分54秒
返信・引用
  Nへ

八重山民謡は如何でしたか。昨夜は昼の疲れもあって早寝したが、今朝は朝寝(と言っても6時前)してしまった。まだ腰が痛い。中津川の別荘地の草刈のことは無鉄砲君の呟きと写真で知ったと思うが、中央高速を通って往復200キロを100キロ~120キロで走って中津川を往復しての単独ドライブは3年間の憂愁の雲を取り払り、新しい思索を生んだ。

 この道は、亡妻と何度か来た思い出のいっぱい詰まった「いつか来た道」でもある。一緒に見た風景は少しも変わっていない。遥かに見える恵那の雪を被った連峰、途中で立ち寄った手打ち蕎麦屋や店など、助手席で彼女が話しかけているような錯覚さえする。
 途中のスーパーで弁当を買う。目印のガソリンスタンダを左折して橋を渡り突き当りをさらに左折、と自分の頭に入っている地図を頼りに車を進めて行ったが、山に入るいつもの道がない。元に戻って件のガソリンスタンドまで走って道を間違えていたことに気がついた。ガソリンスタンドはいくつもあって、さらに本道を走らなくてはならなかったのである。3年経って、何度も来た道を間違えるなんて!

ともかく無事に我が家の別荘地に着いた。すでに家を建てて時々やってくる臨地の人が声をかけてきた。T某と名乗る。彼が先日管理費を請求してきた男だと判明した。後でわかったことは、すでに家を建てている4,5人の人たちが管理組合の役員になってこの別荘コミュニティを管理しているらしいということだ。人の良さそうな老人であり、隣人なのだ。領収書や管理状況についての報告も送られないまま請求書だけを送りつけてくる、という疑惑が取れた。

いよいよ草刈機のモータを始動して作業開始。青草となって生い茂る前の冬枯れを狙っての草刈りだったが、笹竹を中心とする雑草は予想以上に伸びていなかった。3年前に切り倒した木はすでに朽ちかけている。作業はスムースに進んだ。昼時、松の幹を背にして昼飯を食べているとTさんが、「コーヒーはいかがですか」と声を掛けてくれた。「後でいただきます」と返事をして急いで食事を済まし、彼が庭に並べたテーブルと椅子のある「にわかパテオ」の席について待っていると、奥さんがコーヒと菓子を持ってきた。優しそうなおばあさんである。彼女は妻の話を始めて、妻が意外な人の心の中で生きていることがわかった。「5年前に亡くなりました」と言うと、驚いたように、その優しい目を私に注いだ。車のトランクに「退職記念論集」の箱が残っていたことを思い出して、持ってきて妻の押し花の作品を紹介しながら老女の妻への思いを聞いた。「ここで家を建てて絵を描いたり、学校の教師だったものですから若い人たちを連れてきて楽しむつもりだったのです。妻にもいろいろ夢があったと思うが・・」と言いながら、私の土地の臨地に置き去りになっているブランコを見て、「みんないろいろな夢を持ってこの地を買ったのですね。」と言った。その夢が悪徳不動産や建築業者によって蝕まれたいくつかの悲劇も聞いた。建物を請け負って、途中まで建築を進めたのに、未完成のまま放置して姿をくらませた業者に遭って放置された建物もある。「買います」と言って、土地の測量費を受け取って消えてしまった業者。遠山夫婦からこの山で起こったいろいろな悲劇を聞きながら、夢敗れた人生を生きている人たちは今頃どうしているのだろう、と荒れ果てたこの山奥の別荘村の風景を見渡した。

「さあ、頑張らなくては」と立ち上がって、残りの仕事に取りかかった。作業は意外に早く終わり、T夫妻に別れを告げて、山をあとにした。腰に痛みはあったが、膝や肩は恐れた程には痛みを感じなかった。帰路、車のハンドルを握りながらひとつの達成感に満たされて、大声で歌を歌った。沖縄民謡の、「とうがにあやぐ」「なりやまあやぐ」「米のアラ」「とばらーま」など、演歌の「かえり船」「愛染草」「誰か故郷を思わざる」「北上夜曲」そして英詩の数々。ウルマンのスペイン語訳の「青春」の暗唱。

毎日、膝や肩の痛みに苦しみ、物忘れで認知症の恐怖に晒されている老いの身が、200キロの道を100キロのスピードで走破して100坪近い原野を切り開いて数時間の「農耕」に打ち込む事のできた充足感が一つの意志から湧き出たものであること実感した。無鉄砲君に祝杯である。「今夜はすき焼きをご馳走してやろう」と言いながら我が家に帰る。(そのすき焼きは、目当てにしていたすき焼き屋「○○亭」が夜出かけてみると満席で諦めた)。帰宅して、日記にスペイン語で、Lo imporotante es que lleva mi animo a la practica mas temprano. (大切な事は己の「意志」をできるだけ早く実行にうつすことであるー思い立ったら実行)と書く。ああ、今日もディア ボニトなり。そしてあなたも。

 

閑話休題3

 投稿者:Rocky  投稿日:2013年 3月16日(土)22時05分55秒
返信・引用
  弱虫君と無鉄砲君が口論している。(両者は同一人物の中に棲む人格である。)

無鉄砲:メキシコに行く前に中津川の別荘の草刈をしよう。
弱虫:とんでもない。無理して何か事故でも起こったらどうする?
無鉄砲:何が起こると言うんだ。
弱虫:中央高速で行くんだろう。あの道はよく事故が起こるんだよ。無事に中津川に着いたとしても、ただでさえ腰、肩、膝が痛いというのに、後で動けなくなったらどうするんだ。メキシコに行けなくなるよ。
無鉄砲:まだ10日はある。それまでには痛みや疲れは取れるさ。
弱虫:勝手にしなさい。

無鉄砲:(市役所で電動草刈機を借りてきて、準備を始める。しかし、弱虫君に言われたことも気になり、なんとか自分をふるい立たせようと思って、いろいろなことを考えた。まず、思い立ったら実行ーという自分の信条の試金石にする。あの別荘を買った頃に描いたいろいろな夢を思い出して、自分の「青春」の夢をもう一度楽しんでみる。その一つ 「○○熟ー山の実験学校」(下の*を見よ)である。また、恵那山をスケッチできないかと水彩画材も荷物の中に入れた。本も一冊。「草刈」という労働による肉体の酷使ではなく、いろいろな目的を兼ねた遊行と思えば良い。すると心がウキウキして、春日井インターから高速道路に乗って、一路中津川に向かった。弱虫君はぶつぶつ言いながら、口をきかなくなった。無鉄砲君の勝利である。100坪近い別荘地に生い茂った笹竹を電動草刈機で切り払い、無事に帰宅した。この経験からいろいろなことを考え、学んだ。いずれ書くことになろう。


いつかカーラジオで高橋源一郎が和歌山県にある「きのくにこども学園」( http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php?page_id=0 )について話しているのを聞いた。彼はニールという言葉は一度も使わなかったけれども、話をきいているうちに、私にはそれがイギリスにあるサマーヒルをモデルにして作られた学校だということがわかった。(http://www.summerhillschool.co.uk/)

今から35年前に私がエッセクス大学で言語学の研修でコルチェスターというイギリス東部の町に住んでいた頃に訪ねたことがある自由学園である。この学校はニールが創設したユニークな学校で、普通の学校では見られない、時間割のない、子供たちの意志が最大限に尊重されて学校運営がなされている私立の学校である。私が1977年に訪ねたときは、ニールはすでに亡くなっていて、奥さんが健在だった。初対面の印象は気難しいおかみさんという感じで、事前に手紙で訪問の依頼をしてあったが、「自由に見学してください」と言って、自分で案内はしてくれなかった。世界中から見学者が押し寄せて来て迷惑しているということも漏らしていた。学校は夏休みになって、子供たちの姿は見られなかったが、校舎内を歩き回りながら、子供たちの日頃の生活を彷彿させるような教室の様子を見た。

 日本の「木のくにこども学園」は堀眞一郎という教育学者が創立したらしいが、彼は昭和59年に『ニイルと自由の子供たち』という本を書いて、日本にサマーヒルを紹介している。もし、私に十分な資金と時間があれば、こんな学校を造ってみたいと思ったこともある。中津川に別荘地を買った時もその考えがちらっとよぎったものだ。その夢も果たせず、妻も亡くなった今、職も引退して老い果ててしまった。
 

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