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ようこそ、こくぼさん

 投稿者:ディオゲネス  投稿日:2011年10月 8日(土)21時27分44秒
返信・引用
  半年で、お二人目のお客さんで、大歓迎です。
つい喋ってしまいますですよ。
どうか、攝津幸彦や田中裕明についての僕のブログに批判などございましたら、
何でもおっしゃってください。

「街の百句」は、やはりいいなと思います。初学の私ではありますが、
「街」に来てよかったと思います。でも、まだまだ「我思う、故に我在り」
の思念的色彩が少し濃いと思います。もっともっと「我能う」的な身体性と
物という広大な感覚原野を法楽する俳句が多くなってもいいと思います。
僕はそっちの方を開拓したいなと思っています。
「街宣言」も「肉体を通して得られる感覚」を基点とするとあります。
そして、目指すところは「私」という利己的な高みではなく、
私からの解放、すなわち今の私とは別の私、
あるいは他者や自然との別の関係を探すのだと思っています。
「別の知」あるいは「別の無知」なのです。
やりがいがあると思っています。
たぶん、先生も今までやってこられたことに自信を深めておられると
思いますよ。
 高山れおなさんの「韜晦」の件ですが、この年齢になるとあまり
興味がありません。
精神のスタイルということでしょうが、僕は自己韜晦のスノッブよりも
アナクロニズムの大間違いの方が好きです。
従って、洗練もあまり好きではありません。
小林旭のように、ギターを抱いた渡り鳥として、
明日、渋谷を歩いても一向平気な気持ちです。
正直、今回の鼎談は前回の上田信治さんのと比べると、
少し迫力に欠けていましたですね。
でも、あの件は面白かったです。
それは、「秋簾撥げ見るべし降るあめりか 高山れおな」のところ。
いずれ、呑んで議論しましょう。
 それから、サブカルチャーの件ですが、
サブだろうが、メインだろうが、美しければ世界に深く入り込めるのですよね。
また、「俳句界」とは何を指すのでしょうか。
まさか、俳句総合誌『俳句』『俳句界』『ウィークリー俳句云々』
その他のことではないでしょう。僕は、俳句の現代性は、
黙っていてもその俳句に刻印されるとおもっています。
こくぼさん、芭蕉以来の巨人達の伝統の連なりと575の形式と
燕や蟋蟀や乳房やA6出口など自然や社会があればそれで十分だと思うからです。
ただいま、風邪引き中。でも、明日は横浜まで参ります。
竹内さんのレクチャーが愉しみです。それではまた!
 
 

自己韜晦

 投稿者:こくぼ  投稿日:2011年10月 6日(木)11時59分26秒
返信・引用
  記念号の「鼎談」でれおなさんが自分を俳句で表現することは難しいけれど、一種韜晦的になら出来るようなことを言っていて興味深かったです。
摂津幸彦は世代的には同じですが、今の俳句界の若い人が育ってきたサブカルの走りの人だったのですね。
幸彦が広告業界にいたことも影響がありそうに思います。
いま吉本隆明の「全マンガ論」を読んでいます。
俳句界はサブカル席捲の気配がありますね。
あっ、俳句界に限らないですね。
 

いらっしゃい、南山さん

 投稿者:ディオゲネス  投稿日:2011年 8月17日(水)00時12分41秒
返信・引用
  南山さん、よくいらっしゃいました。
(1)櫂未知子についての、ディオゲネスの疑問に答えてくださいませんか?
(2)8月の「街」研究会におられなかったようですが、残念でした。
(3)最近、「街」の句会でもお見かけしませんが、是非いらしてくださいな。
(4)「アメフラシ…」云々の記述。例によって、
   難しすぎてよく分かりません。解説をお願いします。
 

あ、失敗した

 投稿者:南山  投稿日:2011年 8月16日(火)13時19分6秒
返信・引用
  ●「とは」文体の俳句が、ありますね。

  例:春のとは濡れてゐるみづのこと   長谷川櫂
  例:落椿とは突然に華やげる      稲畑汀子

●僕も、いちど「とは」俳句に挑戦しようと、

  *アメフラシとはずぶ濡れのディオゲネス

 を作ってみたものの、ディオゲネス の意味が理解されないかも、と
 下5を「哲学者」に変えて、投稿してしまった。あ、失敗した。
 

ディオゲネスの一人合点?

 投稿者:ディオゲネス  投稿日:2011年 6月 4日(土)11時38分46秒
返信・引用
  とむらひも吹雪もあなたには娯楽(櫂未知子)

『セレクション俳人6 櫂未知子集』(邑書林)を手にし、読みはじめたら、
面白くて一気に読んでしまいました。その中で、上句で櫂未知子の真骨頂を
見たと思ったのです。
 人の死という厳粛な悲しい出来事も、吹雪という自然現象(これは、生活
するものには大変ですが、たとえば愛するもの同士が心身を摺り合わす最高
の背景設定にもなりますね。)も、私にとってはどれもが「娯楽」みたいな
ものである。
 「あなた」としたのは、距離をとるための人称変換で、実は櫂未知子自身、
即ち「私」というわけです。そして、この「娯楽」という言葉は、櫂未知子
の人生の「根無し草」性を示したものだ、というふうに読んだのでした。

 私はそもそもが根無し草なんだから、人生のあらゆる出来事に遊べるわよ、と。
あるいは、とむらひも吹雪も、俳句という「法楽」空間にはいる時は、
「私」=櫂未知子の「法楽」精神に思いのままに料理される対象になるのよ、
というふうに読んだのでした。

殺戮の歴史親しき夜長かな

この句なども、塚本邦雄的な「能動的ニヒリズム」の情調が伺えます。
(櫂未知子は、塚本のもとで、一時短歌をやったことがあるみたいです。)
  ところが、巻末の復本一郎さんの解説では、上句を「いかにも櫂未知子
らしい作品」としつつも、「吹雪」を故郷余市の「吹雪」とし、
「あなた」を、特定の「あなた」とし、「とむらひ」や「吹雪」をまるで
「娯楽」の一つぐらいにしか受け止めることのできない無神経な「あなた」
に対して、櫂未知子は鋭い批評の刃を突きつけつつ、人知れず悲しみに泣き
崩れるのである、と書いておられるのです。

ディオゲネスは、よく勝手読みする人なんです。
どなたか、外から光を当ててください。
 

寺山修司を読む

 投稿者:ディオゲネス  投稿日:2011年 4月 1日(金)09時54分20秒
返信・引用
  下記でご覧になってください。

  http://wind.ap.teacup.com/bunngakuhaiku/
 

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